エグゼクティブサマリー
数週間前、ほとんどの SaaS スタートアップは成功にたどり着けないというデータを紹介しました。マネタイズを開始してから 10 年以内に ARR 2,000 万ドルへ到達するのは、わずか 3.5% です。ハーバードやスタンフォードに合格するより低い確率です。
では、その外れ値の企業は何が違うのでしょうか。
それを知るために、私が Analyst-in-Residence を務める SaaS 指標・成長プラットフォーム ChartMogul のデータを掘り下げました。ChartMogul のデータセットは、10 年以上の履歴を持つソフトウェア企業 6,525 社を対象としています。私は、ARR 100 万ドルから 2,000 万ドルへ到達したスタートアップと、たどり着けなかったスタートアップの歩みを、そのまま辿り直しました。
Kyle は ChartMogul の Analyst-in-Residence です。過去 15 年にわたり、ソフトウェアスタートアップの成長支援、プロダクトのマネタイズ、カテゴリーリーダーへの成長を手がけてきました。
Kyle は人気の週刊ニュースレター Growth Unhinged も執筆しており、今もっとも急成長しているソフトウェアスタートアップの裏側にある「意外な事実」を掘り下げています。米国マサチューセッツ州ボストン在住。
分かったことは意外でした。勝った企業は、必ずしも良いスタートを切ったわけではありません。良くなっていったのです。収益構成、マネタイズ力、リテンションを改善し、生まれ変わりました。そして、その改善が複利で積み上がっていくのを見届けたのです。
Chili Piper の共同創業者 Alina Vandenberghe も、同じことに気づいたと言います。最初の 150 万ドルまで会社を押し上げてきたすべてを手放し、次の成長ステージに向けて事業を作り直す必要があった、と彼女は話してくれました。
In our case the biggest shift came when we learned to let go of everything that worked to get us to $1.5M. The strategy, the processes, the assumptions we had when we got started had to die for the next stage of our growth. Scaling in our case was less about efficiency (though we did a lot of that as well of course) but more about re-birth.
本記事では、スタートアップの生まれ変わりをデータから見ていきます。外れ値の企業がどう変わったのか、そして、あの 3.5% に入るために何ができるのかを探ります。
ARR 2,000 万ドルへの道のり
まず最初にやりたかったのは、ARR 2,000 万ドルに到達した SaaS 企業の時計を巻き戻すことでした(この企業群を「外れ値」と呼びます)。外れ値が ARR 100 万ドルのスタートアップだった時点の指標を取り出し、ARR 100 万ドルには到達したもののそこで足踏みした同業(こちらは「並の企業」と呼びます)の指標と比べました。
外れ値の ARR 100 万ドル時点における典型的な指標は次のとおりです。
- 前月比(MoM)成長率 16.7%
- アカウント当たり平均収益(ARPA)564 ドル
- 年換算のグロスレベニューリテンション(GRR)66.0%、ネットレベニューリテンション(NRR)82.7%
- ネットニュー MRR は主に新規獲得によるもので、エクスパンション由来が 15.4%、再開由来が 1.7%
興味深いのは、出発点の指標が外れ値も並の企業もかなり似ていたことです。主な違いは前月比成長率でした。外れ値は平均で前月比 16.7% 成長し、並の企業は 8.7% でした。ARR 100 万ドル時点の成長の速さは、たしかにその後の勢いを後押しします。
ただし、この差も見た目ほど際立ってはいません。並の企業の上位四分位は前月比 20.1% で成長していました。言い換えれば、並の企業の上位 25% は、外れ値の半分以上を上回っていたのです。出発点の勢いだけが効いているわけではないのは明らかです。
では、外れ値の ARR 2,000 万ドル時点における典型的な指標を見てみましょう。
- 前月比成長率は 16.7% から 5.1% へ低下
- アカウント当たり平均収益は 564 ドルから 1,024 ドルへ増加
- GRR は 66.0% から 71.8% へ上昇し、NRR は 82.7% から 92.8% へさらに大きく上昇
- ネットニュー MRR の構成はずっとバランスの取れたものになり、エクスパンション由来が 34.7%、再開由来が 3.8%
上位四分位の指標も同じ物語を語ります。成長率は下がり、ARPA は上がり、プロダクトの粘着性は高まり、エクスパンション収益は増える、というものです。
ここから外れ値は集団から離れ始めます。外れ値は、並の企業に比べて成長指標の改善が明確に上手でした。立ち上がりの勢いの速さと、オペレーションの改善。この組み合わせが、年を追うごとに複利で効く優位性を生み出したのです。
方法論について一点。並の企業に分類した企業はすべて ARR 100 万ドルに到達していますが、そのマイルストーンから少なくとも 36 か月を経ても ARR 2,000 万ドルには到達していません。並の企業の中位値は、2016 年 12 月にマネタイズを開始し、2020 年 6 月に ARR 100 万ドルへ到達、2025 年 10 月時点でも ARR 2,000 万ドルには届いていません。外れ値の中位値は、2017 年 4 月にマネタイズを開始し、2019 年 6 月に ARR 100 万ドルへ到達、2023 年 9 月に ARR 2,000 万ドルへ到達しています。
SaaS スタートアップは生まれ変われる
次に、SaaS の外れ値が ARR 100 万ドルから 2,000 万ドルへの道のりで、成長指標をどう変えたのかを見ました。
成長を加速できたのはごく少数(16%)です。しかし大半は、それ以外のすべてで上達しました。
- ネットニュー MRR に占めるエクスパンションの割合:86% が 10% 超の改善
- アカウント当たり平均収益(ARPA):72% が 10% 超の改善
- 年額プラン由来の MRR の割合:71% が 10% 超の改善
- ネットニュー MRR に占める再開の割合:60% が 10% 超の改善
- グロスレベニューリテンション(GRR):51% が 10% 超の改善
SaaS 企業は、やはり生まれ変わることができるのです。とはいえ簡単ではありません。並の企業が指標を改善できる確率はずっと低く、改善できた場合でも、その幅はかなり小さくなりがちでした。
外れ値は ARPA を 82% 引き上げました。並の企業は 63% です。ARPA を上げる道筋はいくつもあることを覚えておいてください。新プロダクトのマネタイズ、アップマーケットへの展開、値上げ、割引の縮小、利用量・消費量の増加などです。共通しているのは、時間をかけて知覚価値を高め、その上乗せ分を同時にマネタイズすることです。そして、最良の顧客をエクスパンションさせるレバーが複数ある価格モデルを持っていると有利です。
Mangomint の CEO Daniel Lang は、成功の要因はプロダクトのカバー範囲を段階的に広げてきたことだと語ります。直近の数年で 3 つの主要な新プロダクトをローンチしました。
We grew by staying focused on one specific type of customer, mid-sized salons and spas, and gradually expanding the surface area to solve more and more of their problems. In just the last few years we added an advanced marketing automation product, a full communication suite (phone, texting, chat), and payroll. This not only improved retention, it helped us attract new customers by giving owners even more reasons to switch off legacy systems.
外れ値は NRR を約 10 パーセントポイント(pp)改善しました。並の企業は 4.2 pp です。その大きな要因は、シングルプロダクトからマルチプロダクトへの移行です。顧客をエクスパンションさせる余地が広がるからです。従来の経験則では、マルチプロダクト化は ARR 2,000 万〜5,000 万ドルに達するまで待つべきだとされてきました。私は、この ARR のしきい値は下がってきており、AI とともにこれからも下がり続けると見ています。
Fyxer の共同創業者 Archie Hollingsworth は、AI プロダクトのブレイクスルーは、顧客に習慣を置き換えてもらうことから生まれると指摘します。彼らはメールの整理と作成という中核ワークフローに狙いを定め、初期ユーザーをスーパーファンに変えることに力を注ぎました。そのスーパーファンが、組織内の 1 ユーザーを 5 人、10 人へと広げる後押しをしてくれるのです。(以前の記事で紹介した彼らのネットレベニューリテンションは、かなり羨ましい水準です。)
In AI, the breakthrough isn’t invention, it’s habit replacement. We’re not creating new behaviors yet, we’re automating the old ones. The smartest thing we did was choose a universal workflow, organizing and writing emails, and made it effortless with zero prompting (because adoption of new tech is so hard) to win 100 superfans. Then we asked every single one of them to post online if they loved it.
| 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2024 年 6 月 | 108% | 117% | 126% | 123% | 182% | 186% | 189% | 194% | 192% | 189% | 187% | 183% |
| 2024 年 7 月 | 109% | 118% | 140% | 143% | 145% | 136% | 144% | 148% | 150% | 150% | 149% | |
| 2024 年 8 月 | 114% | 113% | 116% | 116% | 110% | 86% | 84% | 78% | 80% | 75% | ||
| 2024 年 9 月 | 133% | 149% | 149% | 142% | 144% | 149% | 149% | 147% | 148% | |||
| 2024 年 10 月 | 150% | 203% | 202% | 191% | 160% | 152% | 153% | 144% | ||||
| 2024 年 11 月 | 128% | 136% | 138% | 134% | 131% | 130% | 132% | |||||
| 2024 年 12 月 | 115% | 456% | 455% | 446% | 443% | 445% | ||||||
| 2025 年 1 月 | 128% | 118% | 122% | 118% | 116% | |||||||
| 2025 年 2 月 | 113% | 109% | 104% | 105% | ||||||||
| 2025 年 3 月 | 109% | 112% | 108% | |||||||||
| 2025 年 4 月 | 112% | 116% | ||||||||||
| 2025 年 5 月 | 109% | |||||||||||
| 加重平均 | 114% | 142% | 156% | 184% | 230% | 274% | 143% | 148% | 150% | 149% | 167% | 183% |
外れ値と並の企業の差は、一見それほど大きく聞こえないかもしれません。しかし、わずかな改善でも時間をかけて SaaS 企業の軌道を根本から変え得ることは、じっくり見ておく価値があります。忍耐が欠かせません。
Replit の創業者兼 CEO Amjad Masad は、チームの前進がすぐに会社のトップラインに表れたわけではないと語ります。彼が追っていたのは社内の KPI と小さな勝ちでした。そのほうが優れた先行指標であり、やがて時間とともに複利で効いていくと考えたからです。
In the early years, external metrics didn’t always reflect progress. The hardest part was staying locked in even when others seemed to be growing faster. We reframed success around internal scoreboards like making daily progress, learning faster, and compounding small wins until growth became unstoppable.
ClickUp の創業者兼 CEO Zeb Evans も同じ感覚を語ります。いまや巨大企業ですが、ソフトウェアのなかでもっとも競争の激しいカテゴリーの一つで、ブートストラップのまま ARR 2,000 万ドルまで到達しました。Zeb がその要因に挙げるのは、四半期や年次ではなく週次で少しずつの前進を追いかける、ほとんど執着とも言える姿勢です。
Bootstrapping forced us to focus on profitability and control our own destiny. Most companies measured progress quarterly; we measured it weekly. We've shipped massive new features every week since day 1, and still do so today, delighting our community who help us build and iterate.
複利で効いていく SaaS 企業
ChartMogul のチームは最近、Scenarios(シナリオ)機能を公開しました。さまざまな「もし〜だったら」のレバーが、将来の ARR とサブスクライバー数にどう影響するかをモデル化できる機能です。
私は Scenarios を使って、前年比 11% で成長する ARR 1,000 万ドルの合成 SaaS 企業を作りました。あくまで例示ですが、ChartMogul のデータセットでもっとも多いパターンを映したものです。下のチャートの Baseline がこれに当たります。
そのうえで、価格設定、獲得、チャーンのケースを含む 5 つの成長施策シナリオを、3 年間にわたって走らせました。各シナリオでは、期間を通じて 50% の改善を想定しています。
分かったことは次のとおりです。
- 既存顧客への値上げは、もっとも影響が小さいものでした。それでも 3 年後には ARR が 170 万ドル増えます。悪くありません。
- 新規顧客への値上げはより大きな影響があり、3 年後に ARR を 540 万ドル押し上げます。この 1 つの変更だけで、年間成長率は実質的に 11% から 24% へ倍増しました。
- 獲得の増加は、ARR への影響という点では新規顧客への値上げと同等です。(ただし、これにはマーケティング費用の追加や営業人員の増員も必要になるでしょう。)
- 既存顧客と新規顧客の両方への値上げは、3 年後に ARR を 710 万ドル押し上げます。高すぎるように見えるかもしれませんが、外れ値の企業は ARR 100 万ドルから 2,000 万ドルへの道のりで顧客当たり平均収益を 82% 引き上げたことを思い出してください。この変更により、年間成長率は 11% から一気に 28% まで上がります。
- チャーンの削減は単独でもっとも影響が大きく、3 年後に ARR を 890 万ドル押し上げます。これはグロスレベニューリテンション(GRR)を 66% から 83% へ改善することに相当します。つまり、不可能ではありませんが、統計的には起こりにくいということです。
では、値上げとチャーン削減を同時に進めた場合の効果を想像してみてください。合わせた影響は、ARR 成長をチャートの外へ(文字どおりに)押し出します。これが外れ値の道のりを一言で言い表したものです。
基準を上げ続ける
ARR 2,000 万ドルを超えたなら、あなたは同業の 96.5% を上回ったことになります。この道のりは、初期のパフォーマンスによってあらかじめ決まっていたわけではありません。AI ネイティブなプロダクトを作ったから、サンフランシスコに移ったから、というだけで起きたことでもありません。
他社のプレイブックをそのまま真似したから起きたわけでもありません。Clay の共同創業者 Varun Anand は、創業者は自分の直感を信じ、自社にとって本物であるものを探し出す必要があると強調します。
Experts will give you well-meaning advice but only you know what will authentically work for your business. It's why we hired GTM engineers (technical product experts) to sell Clay instead of traditional AEs, as we continue to optimize for adoption and usage vs immediate revenue maximization.
ARR 2,000 万ドルへの到達は、価値あるプロダクトを作り、それをマネタイズする方法を見つけ、プロダクトを取り巻く顧客体験を一貫して改善し続けたことの副産物です。基準を上げ続ける人たちに乾杯。
方法論と用語
データソースと分析の枠組み:本レポートの作成にあたり、ChartMogul の匿名化・集計済みデータを分析しました。
データソース:ChartMogul の MRR ムーブメント(サンドボックスアカウントは除外)、ChartMogul の NRR・GRR 算出、ChartMogul の Scenarios ツール。
ARR 2,000 万ドルに到達した企業の統計と関連分析:MRR ムーブメントのデータを用いて、各社が ARR 100 万ドルおよび 2,000 万ドルのマイルストーンにあった時点のデータを取得し、指標を算出しました。指標には、成長率、総 ARR に対するエクスパンションの比率などの比率、ARPA、NRR/GRR などが含まれます。そのうえで、結果を四分位でグループ化し、ARR マイルストーンごとに比較して分析しました。
シナリオ分析:ChartMogul の公式シナリオツールを用いて、条件を満たすすべての企業についてシナリオを実行し、その結果を集計しました。
指標:ARPA、収益成長率、グロスレベニューリテンション(GRR)、ネットレベニューリテンション(NRR)、獲得収益に占める新規ビジネスの割合、獲得収益に占める再開の割合、獲得収益に占めるエクスパンションの割合、獲得収益のうち月額プランの割合、獲得収益のうち年額プランの割合。