エグゼクティブサマリー
ARR(年間経常収益)は GAAP の指標ではありません。それでも SaaS 指標の基本単位となり、SaaS のバリュエーション倍率の土台にもなっています。
私たちは ARR を、(通常は)高粗利で、予測可能で、成長する収益として捉えています。つまり SaaS 企業は(通常は)規模の拡大とともに高収益化する軌道に乗っている、ということです。
AI スタートアップは、この前提を次々と崩しつつあります。必ずしも経常収益ではないのに、経常収益として扱われているものは次のとおりです。
- AI プロダクトからの実験的な収益(本番運用に至っていないもの)
- 3 か月で解約できる契約で、70〜80% が実際に解約するもの
- 使用量ベース、または成果ベースの価格設定
- フォワードデプロイドエンジニアによるプロフェッショナルサービス
AI スタートアップは、私たちに ARR の再考を迫っています。粗利率の問題については以前書いたとおりです。さらに懸念されるのは、AI 収益の持続性に本質的な疑問があることです。Primary Venture Partners の Cassie Young 氏は最近、「グロスリテンションの終末」が迫っていると予測しました。
買い手は自社の AI 実験を厳しく精査するようになります。AI ツーリストは次の話題のプロダクトへ移っていきます。そしてモデルが進化するにつれ、大手プラットフォームが薄い LLM ラッパーを何十も飲み込んでいくでしょう。
AI アプリにとって持続性は存亡を左右する問いです。それにもかかわらず、この論点についての客観的なデータは驚くほど少ないままでした。それを変えるため、私は Analyst-in-Residence を務める ChartMogul と協働しました。
私たちは 3,500 社のソフトウェア企業のウェブサイトをスクレイピングし、AI を使って各社を B2B SaaS、B2C SaaS、AI ネイティブ企業(B2B と B2C のどちらもあり得る)に分類しました。そのうえで、グループ間でグロスレベニューリテンション(GRR)とネットレベニューリテンション(NRR)を比較しました。今日はその結果と、来るかもしれないチャーンの波から自社を守るために取れる打ち手を共有します。
Kyle は ChartMogul の Analyst-in-Residence です。過去 15 年にわたり、ソフトウェアスタートアップの成長支援、プロダクトのマネタイズ、カテゴリーリーダーへの成長を手がけてきました。
Kyle は人気の週刊ニュースレター Growth Unhinged も執筆しており、今もっとも急成長しているソフトウェアスタートアップの裏側にある「意外な事実」を掘り下げています。米国マサチューセッツ州ボストン在住。
AI ツーリスト問題
AI によるスクレイピングの結果、B2B SaaS 約 2,700 社、B2C SaaS 約 600 社、AI ネイティブ企業約 200 社のデータセットが得られました。AI ネイティブ企業には B2B と B2C の両方の事業、さらに消費者と企業の双方に販売するスタートアップが含まれます。
最初に見たのは、ARR が少なくとも 25 万ドルに達している企業における 2025 年通年の年率換算リテンション率です。なぜ 25 万ドルかというと、更新を迎える顧客が少ないごく初期のスタートアップでは、過去のリテンションデータの信頼性が大きく落ちるからです。
データが示すこと:
- B2B SaaS は比較的粘着性が高い。NRR の中央値は 82%(上位四分位は 97%)。
- B2C は粘着性がかなり低く、アップセルもわずか。NRR の中央値はわずか 49%。
- AI ネイティブ企業の GRR は B2C よりさらに低く(40%)、NRR は同水準(48%)。
明るい面もあります。AI のリテンションは年初から大きく改善しました。GRR の中央値は 1 月の 27% から 9 月には 40% へ跳ね上がっています。初期のツーリストの多くが去り、残った層はよりコミットしているか、実験から本番運用へ移行しているのだと思われます。
それでも AI ネイティブ企業は全体として、私たちが知り、好んで(そして ARR を基準に評価して)きた B2B SaaS 企業とはまだかなり違う姿をしています。
買いやすい、だから解約しやすい?
AI チャーンの波は、すべての AI 企業を同じように襲うわけではありません。低価格のプロダクトは以前からチャーンを多く集めてきました。AI プロダクトではこの差がとくに顕著です。
チャーンに対する最良の防御は、消費者やセルフサーブ購入(月額 50 ドル未満のディール)から、より大きな B2B 購入へ移ることです。
データが示すこと:
- 月額 250 ドル超で売れている AI ネイティブプロダクトは GRR 70%、NRR 85%。これは実質的に B2B SaaS と同水準です。
- 月額 50〜249 ドルの AI ネイティブプロダクトは GRR 45%、NRR 61%。B2B SaaS より 15 ポイント低い水準です。(月額 100 ドル超を課金する B2C プロダクトはほとんどありません。)
- 月額 50 ドル未満の AI ネイティブプロダクトは GRR がわずか 23%、NRR 32%。B2B・B2C いずれの SaaS よりも 20 ポイント低い水準です。
これが AI ラッパーの宿命です。買いやすいことの裏返しは、解約しやすいことなのです。
ここにはもう一つの要因も働いていると考えています。AI のセルフサーブユーザーは、たしかに課金しているかもしれません。しかし本人たちは自分を「お試し中」だと思っているのです。
低価格の SaaS プロダクトはフリーミアム(またはリバーストライアル)が多く、ユーザーは購入前に十分な時間をかけて試せます。粗利率が 80% を超えていれば、無料ユーザーを支えても経営が傾くことはありません。ユーザーは自分の意思で買うと決めたときにアップグレードします。そして断絶はほとんどありません。SaaS を買うとき、人は何を手に入れるのか分かっています。
AI プロダクトでは計算が変わります。トークン 1 つひとつにコストがかかります。AI プロダクトは、即時か、少しでも本格的に使われた時点でコンバージョンを迫ります。ユーザーがアップグレードする前に、1 日あたりの利用上限でペイウォールを設けるものさえあります。SaaS では前例のない話です。人は「これで何ができるようになるのか」という可能性に惹かれて課金を始めますが、そのプロダクトを長期的に自社の業務にどう組み込むかは計画していません。
私たちはリテンション(そして言うまでもなく ARR)の測り方を見直し、実験的な支出と本気の支出をひとまとめにせず、きれいに切り分ける必要があります。私の提案は、本気の支出を「少なくとも 250 ドルを支払った顧客からの収益」と定義することです。前払いの年間プラン、250 ドルを超えるディール、あるいは支出は小さいが継続してくれる顧客のいずれからでも構いません。
リテンション = 持続する ARR
AI ネイティブ企業は成長記録を次々と塗り替え、わずか 1 年でゼロから 1 億ドルに到達する企業も少なくありません。これは確かに見事です。しかし、毎月ドアから出ていく既存基盤がどんどん大きくなっていけば、ハイパーグロースを維持することはほぼ不可能になります。これには呼び名があります。TAM を燃やし尽くす、です。
データセットの 3,500 社を、2025 年 9 月時点のネットレベニューリテンション(NRR)と前年同期比の収益成長率という 2 軸でマッピングしました。
データが示すこと:
- 全体として、NRR と長期的な成長のあいだには非常に強い相関がある。
- アーリーステージのスタートアップは、NRR が 40% を下回っていても急成長(200% 超)できる。
- それでもリテンションの低い企業は成長が逆回転するリスクが極めて高い。急成長している企業の 3 倍が縮小している。
リテンションと ARR を合わせて見ると、絵柄はさらに鮮明になります。ARR 500 万ドルに到達する企業は、アーリーステージの同業に比べてグロス・ネットいずれのレベニューリテンションも大幅に優れています。一部はセレクションバイアスでしょうが、驚くほど大きな部分は、突き抜ける勝者が成長に合わせて自らを変えていけることに起因します。
これは AI ネイティブ企業の内部でも既に見て取れます。ただし、この段になるとサンプルサイズは小さくなり(各バケットおよそ 50 社)、統計的に鉄壁とは言えず方向性を示すものと捉えるべきです。最良の AI ネイティブ企業は、アーリーステージの同業に比べて GRR が 2 倍、NRR が 2.5 倍あります。
チャーンにどう手を打つか
私はこれまで数十社とリテンション改善に取り組んできました。月額 15 ドルのプレミアム購読を持つニュースレター著者として、自分自身が今まさに考えていることでもあります。
私の経験では、優れた企業はチャーンをカスタマーサクセスの問題ではなく、事業全体の問題として扱います。AI 企業がチャーンを防ぐ方法は次のとおりです。
- 価値の高いワークフローとユースケースを狙う。 AI プロダクトが本質的に高チャーンなのではなく、消費者向けの AI ラッパーが高チャーンなのです。上位市場へ移るとは通常、(a)業務ワークフローにより深く埋め込まれ、(b)より多くのツールと連携し、(c)汎用 LLM との差別化をより強く打ち出すことを意味します。
- AI に加えてサービスも提供する。 Palantir はフォワードデプロイドエンジニアを雇い、価値の高い見込み客向けに AI ソリューションをプロトタイプし実装させることで知られています。OpenAI を含む多くの AI 企業も同じ道をたどっています。FDE は「AI で可能なこと」と「顧客が実際に実現できること」のギャップを埋めます。a16z が最近書いたように、FDE モデルはマージンを堀と交換するものであり、長期で見れば元が取れることが多いのです。
- 最初のディールで売り込みすぎるのをやめる。 AI に何ができるかという期待はあまりに大きい。通常は小さく始め、価値を素早く証明し、成長機会は後から解放するほうがうまくいきます。営業サイクルも短くなり、FDE のスコープが大幅に絞られるため、より多くの企業に対応できるようになります。
- プロダクト提供とアダプションのギャップを縮める。 Reforge の Brian Balfour 氏は最近、2026 年の最優先課題は「どうやってプロダクトのアダプションを加速させるか」だと語ってくれました。AI のリリース速度は目が回るほどで、顧客は追いつけず、何が変わったのかすら把握できていないのが実情です。
- 年間プランをもっと売る。 月額プランから年間プランへの移行は賛否が分かれます。しかし通常はそのほうが有利です。顧客を感心させる時間が長く取れ、顧客側も導入を進める動機が強くなるからです。データによれば、年間プランのNRR の中央値は月額プランより 10〜20 パーセントポイント高いとされています。やり方は、年間をデフォルトにする、早い段階(2〜3 か月目)で年間へのアップグレードを持ちかける、そしてより大きな割引を検討する(Grammarly は 60% です)。